DIR EN GREY 京さんはもっと評価されるべきだと思う【わずかだけど更新 とりあえず今日で終わり】

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こんばんはからすぅです。

今日はDIR  EN GREYのヴォーカル京さんに視点を当てて見たいと思います。DIR自体、日本国内ではテレビなどが取り上げにくいバンドだと思いますが、ミュージシャン、アーティストとしては20年最前線で活躍しており、実力は間違いなく本物なので、皆さんにもっと興味を持って欲しいと思っております。

そんなバンドの中でも特に異彩を放っているのは京さんだと僕は思っています。

なので、今回は京さんの事を書かせていただきます!

 

 

 

ヴォーカリストとして

■上手く歌うヴォーカリストには興味が無い、歌詩の世界感の追求

 DIR EN GREYの歌詩は、ほぼ全て京さんの手によって生み出されています。メンバーの作ったデモテープを聴いた段階で、曲の世界観を感じ取り、自分の中から生まれてくる感情をそのまま表現し、歌詩としているのとの事です。それがそのままメロディーとして採用される事もあるとか・・・・

 

 歌詩はバンドの根幹にある痛みを表現するものが多いですが、その内容は聴き手によって様々なものとなっています。京さん自身も生み出し終えた歌詩は自分の手を離れたものとなっており、聴き手に対して歌詩の意味を押し付けがましく伝えたく無いと言っていました。ただ、最近発売された人間を被るでは、歌詩も難解なものではなく、ストレートに伝わりやすいものにしたらしいです(それでも聞き手によって感想は変わるものだとは思いますが)。

 

 ライブでは楽曲や歌詩の世界観を追求するために、かつては痛みを表現するために、ライブ中にも関わらず、体を爪で傷つけ血だらけになるなど、楽屋裏で救急車が待機している事もあったそうです。CD音源とは異なる歌い方をする事もあり、その時の自分の感情や会場の雰囲気などで、表現方法も変わっています。

 よく、京さんは歌が下手と言われることがありますが、実はCDにも負けないクオリティで歌う事もできます。UROBOROS以前は、過激なパフォーマンスやCD音源とはかけ離れた歌い方を行い表現を行なっていましたが、何も伝わっていないのかと感じたことがあったようです。自分だけではなくオーディエンスを引っ張って行く必要あると感じ始め、自分の持つ世界観をアルバムUROBOROSに凝縮し、それを100パーセントライブで再現するようにしたようです。

 

■唯一無二のヴォーカリストとしての歌唱能力

 以下Wikipedia引用

https://ja.wikipedia.org/wiki/京_(ミュージシャン)#ボーカリストとして

 

 地声(ミックスボイス含む)での音域は、lowEhihiC(3.5オクターブ弱)であり、インディーズ当時より1オクターブ以上も広がっている(ホイッスルボイスの最高音はhihihiG#(G#7))(ROTTING ROOTの3:11付近)。一般成人男性の地声の平均声域lowG(G2)mid2G(G4)(2オクターブ)程度であることから、比較すると、一般的な成人男性の平均値よりも、かなり幅広い声域を持つことが窺える。

様々な歌唱法を使用しており、非常に高い音域のファルセットグロウルボイスガテラルシャウトスクリームホイッスルボイスなどを多用する。

 

 上記の歌い方に関して京さんは、色々な歌い方をなんとなく歌えている人は多くいるけど、一つ一つを高いレベルまでに歌えている人はいないと言っており、自身はそれができるようになろうと、研究を重ねていたようです。結果としてはどの歌唱方法も非常にレベルが高く、海外のメタルのボーカリスランキングでも名を連ねるようになったとか(どの雑誌かはわかりませんが_:(´ཀ`」 ∠):)

 忘れてはいけませんが、ここまでの歌唱方法を身につけたのは、歌詩の世界観や楽曲の世界観を表現するためだということですね。

 

写真家として

近年の京さんは音楽活動自以外にも絵を書いたり写真を撮るなど表現の幅を広めていっていますが、京さんが撮る写真は素敵な花や微笑ましい家族ではありません。

 

多くの被写体が人の手によって作られ、使われ、捨てられ、廃棄物となった忌み嫌割れるものであり、そこには人の負の部分が感じられます。そういったものに惹かれる京さんは、人の負の部分に対して敏感なのかもしれません。

紛争地帯で、戦争の悲惨さを訴えるカメラマンも人の負の部分を写真に納めていますが、彼らの写真からは負の部分を見つめ直し改善していこうという想いを感じることがあります。

しかし、京さんの撮る人の負の部分の写真からは、環境を綺麗にしようだとかの想いは感じられず、むしろ、「人とはこういう生き物なんだろう」と言われているかのように感じます。

 

写真家に詳しくはありませんが、京さんの撮る写真もやはり、独特の感性から生まれる唯一無二のものとなっているのでは無いでしょうか。

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https://www.cinra.net/interview/201404-sukekiyo?page=2より画像引用

 

画家として

輪郭 のCDジャケットは今日さんが作成しております。これまで特に絵の勉強はされてなかったようで、歌同様に自分の中の感性をあるがままに表現したと言っていました。

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率直に言ってしまえば不気味ですし、何を感じとれば良いのか迷ってしまう絵です。ただ、京さんが自身の中にあるものを目に見える形で表現したときにこのようなものが生まれた。

純粋な子供の落書きからは決して生まれない禍々しさ、良識ある大人は決し描かないであろう異常さ、やはりある種の芸術的なセンスがあるのでは無いかと僕は思ってしまいます。

 

無意識に徹底されている京という個人・個性

自分の感性を何よりも優先させる

己という存在に制御をかけず、周りの目を気にせずに生きれば、人は他人とかぶる事は決してない。というようなことが雑誌に書かれていました。常に自分の感性を一番に生きてきた京さんだからこそ、独自の世界観、唯一無二の存在となっているのだと思います。

 

京さんは重要なミーティングの時も眠っていたり(ダイナマイトトミーさんがいる中でも)、ライブの打ち上げにもほとんど参加されないとか。

ライブ後の食事でさへ、シャワーを浴びながらコンビニで買った食事を食べるという、とにかく興味の無いことはやらない、時間をかけないなど無意識に行なっているそうです。

 

ただし、興味の無い事をやらない代わりに、表現者としての能力を高めることに時間を使っている訳では無いようです。

表現したいと思った時に表現する事が重要なようで、やはり自分の気持ちを大切にされているのだと思います。

 

言い方は悪いですが、やりたく無い事はやらない、やりたい事も気が向いたらやる。という感じです。ただし、スイッチが入った時は、とんでも無いものを生み出す。これはやはり一種の才能なのでは無いでしょうか。

 

表現者としての容姿

なんども言いますが、京さんは表現者であり、己の中にあるものを見聞きできる形として表現することに強いこだわりを持っています。そのため、容姿も20年のキャリアの中で大きく変化をしています。

典型的なビジュアル系、ジャージ姿であごひげを生やす、坊主のロッカー、骸骨のようなメイク、金髪短髪、宣教師のような格好(一番上の画像)など、年代毎に見た目はだいぶん変わりますが、どれもカッコよくなるのが不思議です。

 

メイクもですが、身体中に掘られた刺青は京さんの凄みを一層強くさせている気がします。あの刺青を見るだけでも、この人はロッカーなんだなと強く感じてしまいます。

 

最後に

京さんほど自分の感性にこだわりを持ち、世界観を作り上げているミュージシャンはなかなかいないのでは無いかと思います。

多くのミュージシャンが愛情、別れ、夢、希望、反社会、疑問を音楽として表現していますが、京さんの表現するものは、「生々しい痛み」、「隠された狂気」、「歪な愛」のような、おおよそ一般の人が目を背けているものばかりだと思います。

多くの人が目を背けながらも、内心では抱えているこれらのネガティブな感情を、次々と生み出す京さんはやはり一種の天才なのでは無いかなと僕は思います。

 

このブログは3日ほどで作っていますが、支離滅裂なところも多く見られるので、気が向いた時にこっそり徐々になおしていいきますので、みなさんまた遊びにきてくださいね〜_:(´ཀ`」 ∠):

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さてすいません、今日はここまでにして寝ます。

 

続きは・・・・閲覧数が増えたら書きます笑